Scrap&Build

Nov 07
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Nov 05
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変な話だが、僕は田中フミヤのファンが好きだ。 彼を支持する人はきっとフミヤを通して夢を見ている。 ストリート、なんてカタカナでは正確じゃないな。 4年前、初めて会った時、奴はほんとに野良犬みたいな奴だったんだ。 自転車で走る女の子のスカートがチェーンにからむと、走っていってそれをほどいてやる。 そして「イェーイ!よかったねー」と喜ぶ奴なのだ。 野田努
Nov 02
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うちの奥さまが持ち出したのは「考えていることを文章に変換する手間」ということだった。たとえば、リンゴがあるとする。王林でいい。でいいってなんだ。俺がリンゴを病的に好きで、リンゴのどこがおいしいかを文章にするとする。シャキッとした歯ごたえと甘酸っぱさ、そして噛むにしたがいほどよく広がる自然な甘さが好きだとして。

「じゃあ友だちにしゃべるようにそのまま書きゃいいじゃん」

 俺は例のごとく言う。つまり「リンゴちょううまい。シャキッとしててまじうまい。甘酸っぱくてうまい。噛むと甘い。リンゴ最高。死ぬ。むしろリンゴ食うために生きる。やっぱり死ぬぅぅぅン」とか書く。

「あんたみたいに脳と指が直結してどーぶつみたいに文章書く人間と一緒にすんな。だからあんたの文章はなにいってんだかわかんねーんだ」

 叱られた。

 うちの奥さまが言うには、こういうことらしい。

 しゃべるっていうのは、原則的には、口に出た瞬間には、すでにその場にあわせたかたちで最適化されている。相手がいて、その相手がなにを好きであるか、自分についてどれだけの情報を持っているか、共有されている情報はなにか。そうしたものが「あらかじめ」考慮されたかたちでしか出てこない。だからそれをそのままに文章にできる人はあまりいない。相手が存在しないのだし、自分が書いた文章に不足しているもの、説明が過剰である部分について意識しだしてしまったらそうそう書けるものではない。

 だから「会話するようにして書け」っていうのは無意味だ、ということになるらしい。

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A cosplayer in wonderfestival2009(Summer) (via rhythmsift)

A cosplayer in wonderfestival2009(Summer) (via rhythmsift)

Nov 01
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アンチ森ガールコミュ見たよ~。ナチュ系好きだけど森ガールにくくられたくないノ!と絵文字顔文字だらけで主張する心の隙間だらけのホッコリ系女子とそれを狙うモッコリ系男子の出会いの場になってた。
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Oct 27
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Oct 19
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This is mine : )
tokyo-camera-style:

Yotsuya
Nikon F Photomic with (if I remember correctly) a 24mm lens.
He told me he received this from his grandfather.

This is mine : )

tokyo-camera-style:

Yotsuya

Nikon F Photomic with (if I remember correctly) a 24mm lens.

He told me he received this from his grandfather.

Oct 15
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晴海の頃だったと思うが、ローリー寺西が御本尊として御本尊のままコミケに来て買い物して帰って行ったらしく、次の開催すかんちサークル全滅したという逸話が忘れられない。ちなみに「ならばウチもやばい……!」という理由で筋肉少女帯関連まで激減したらしい、という二段仕掛けのオチが大変いい話。